バレーボール日本代表で活躍されている宮浦健人(みやうら けんと)さん。
インタビューの際、流ちょうな英語で受けていたことが話題となっています。
そんな宮浦健人さんについて、なぜ英語がペラペラなのか、高校・大学や移籍先などの経歴を調査していきます。
宮浦健人は英語がペラペラ!
通訳を介さずインタビューに答えられるほど英語が話せる
宮浦さんが英語を話している場面は、YouTubeでもチェックできます。
宮浦さんは2022〜2023年にポーランドのチームでプレーしており、そこでは基本的に英語で話していたとのこと。
日本で所属していたチームの監督や日本代表の監督とも英語でコミュニケーションをとっていたため、元々聞き取りには自身があったようです。
しかし話す方は苦手意識があったようで、チームメイトに正確に意思を伝えるのが難しかったんだとか。
ポーランドで生活する中で、スピーキング力の方も磨いていったのかもしれません。

宮浦健人のプロフィール
宮浦健人の高校は”鎮西高等学校”
宮浦健人さんは、2017年に熊本県熊本市にある鎮西(ちんぜい)高等学校を卒業しています。
鎮西高校は、男子バレーボール部・女子バレーボール部・柔道部の名門校。
宮浦さんが2年生の頃には春高バレーで準優勝しています。
宮浦健人の大学は”早稲田大学”
高校卒業後、宮浦健人さんは早稲田大学のスポーツ科学部、スポーツ科学科に進学しました。
早稲田大学でもバレーボール部に入部して、全日本インカレで4連覇を果たしています。
宮浦健人さんは1年生の頃からレギュラーとして活躍されていましたが、当時について
「肩が弱かったし、体もうまく使えていなかった。パワーもなかったので、打っても全然決まらない。そもそも鎮西(高校)の時と、打数も違ったので最初はなかなか難しかったです」
引用:4years.
と語っています。
大学生活でしっかりとした体の使い方を学び、ウェイトトレーニングにも力を入れた宮浦さん。
4年生では主将を務め、チームの主力として活躍し続けましたが、大学時代は日本代表に選ばれることはありませんでした。
(日本代表に)選ばれない悔しさはありましたけど、自分がもし高卒でVリーグに進んでも通用しなかったし、今のレベルに達することはできなかった。大学で専門知識を持つ先生方や、バレーボール部のスタッフの方々、教職課程の中で受けた授業から学んだたくさんの知識が今の自分につながった。
引用:4years.
同世代の有力選手が代表で活躍する中、もどかしい気持ちもあったのかもしれません。
日本代表に選出された今、大学に入ったことで得られたものがあることを示してくれることでしょう。
宮浦健人の移籍先は”ウルフドッグス名古屋”
宮浦健人さんは2025年6月にウルフドッグス名古屋に移籍しました。
大学卒業後の宮浦健人さんの経歴をチェックしてみましょう。
大学卒業後、愛知県岡崎市を拠点とするジェイテクトSTINGSに入団しました。
その後はポーランド、パリと海外のチームへ移籍して活動。
2024年にジェイテクトに復帰しましたが、翌年2025年にはウルフドッグス名古屋に移籍しています。
まとめ
今回は男子バレーボール選手の宮浦健人さんについて調査しました。
現在日本代表としても活躍中の宮浦健人さん。
ネーションズリーグや8月開幕の世界バレーでも注目の選手です!